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小松和彦 『異界と日本人:絵物語の想像力』 角川選書 2003年

異界と日本人―絵物語の想像力 (角川選書)

異界と日本人―絵物語の想像力 (角川選書)

少し前から、日本人にとってのファンタジー世界とは何かということに興味があって、何か本を読みたいと思っていた。欧米のファンタジー小説を読んで、西洋の幻想世界観を面白いなと思いつつも、はて、日本人はどう考えてきたのか、と考えて自分が全然知らないことに気がついたからである。で、たまたま書店で目に留まったのが本書。

帯には、「妖怪研究の第一人者が贈る画期的異界論。」とある。僕は「妖怪」と聞くと水木しげるくらいしか思い浮かばないのだが、やはりこういうのもちゃんと研究している人がいるようだ。

本書によれば、「異界」の物語は、ただ単なる空想のお話ではない。「混沌」「恐怖」「無秩序」といった、普段は人間の心や社会の中で抑圧されている「闇」を、人間が対象化しようとした時、「異人」や「妖怪」が立ち現れてくるのだという。また、そうして、「「異界」を想像することで、自分たちの世界を作り上げてきた。だから、日本人がどのように「異界」を見てきたのかを検討すると、日本人の精神生活が見えてくるのだという。

そうした観点から、酒呑童子、狐(玉藻前)、浦嶋などの伝説が一章ずつ語られる。その中で、異なるお話同士の共通点や差異、そしてそれが持つ意味などにも考察が与えられており、なるほどと思わせられるものが多い。

「あとがき」によれば、NHK人間大学のテキスト用に書かれた文書を編集し直したもののようなので、文章も平易で分かりやすく、「妖怪」に関する特別な知識は必要とされない。特に漢字にちゃんとふりがなが振ってあるのは僕のように漢字が苦手な現代人にはありがたかった。

ただ、逆に言うと、読みやすく平易にする代償として、それぞれのお話が背後に持つ意味に関する考察が、簡単に解説されるものの、それ以上深く掘り下げられていない点が若干物足りなかった。

一番印象に残ったのは、第三章の「妖狐の陰謀」の中で語られている「王権説話としての妖怪退治譚」だ。著者曰く、「「王権はそれを維持するために、絶えず「異界」を周辺部に作り出し、そこから立ち現れる妖怪を退治し続ける必要があった」といい、酒呑童子や玉藻前の伝説はそれにあたるという。さらに、「私には、この構図は現代でも変わっていないように思われる」と続けられている。

一種の権力論として、これはとても面白いと感じた。権力の象徴としての王は、強く偉大な存在でなければならないが故にこうした物語が必要とされたというのは分かりやすい。これは、(目に見える権力の時代に)、その王がその威信を傷つけられた時、公開処刑によって威信を回復したと説明される西欧の権力の歴史の解釈とも類似しているように思う。

本書の著者はこれを「現代でも変わってない」ととらえているが、なぜそうなのか、もう少しつっこんだ議論を聞いてみたいと思った。「王」の存在が消え、権力が下から来るものとなってきた近代化以降の世界においても、やはり「異界」の想像は権力維持の観点から必要なのだろうか。

また、第十一章の「幽霊の近世」において、「怨霊」から変わって「幽霊」が活躍し始めたのが、江戸時代以降だと語られている点も非常に興味深い。「「自然」や「道具」に対する関心から、「人間」へと関心が移ったことが背景にあるのではないか、と説明されている。こちらは、上記のような権力観とはうって変わって、日本人の精神史における「自然」の位置づけを考える上で面白い考察だと思う。「異界」として恐怖されるものの重点が、「自然」から「人間」に移ったことは、人間社会のその他の部分での自然に対する考え方へも必然的に変わっていったことを示唆するのではないだろうか。

このように、一見、「異界」という「あちら側」の世界のトンデモ話を題材としているようで、実はしっかり「こちら側」の世界を考えるための材料をきちんと提示してくれているなかなか面白い著作である。おそらく、妖怪に関してかなり詳しい人には物足りない部分が多いだろうが、僕のようになんとなしに興味を持った人間にはとっつき易い。