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学問的関心について

地球環境全般 国際関係論・国際政治学

このブログの「本体」ウェブサイトである「地球環境政治」を開設してからもう5年以上になる。開設した当時は僕はまだ大学生だったから、それから、大学院、そして就職と、色々と環境は変わってきている。就職してからのここ2年ばかりはほとんど更新らしい更新をしてこなかったので、はっきり言って半分閉鎖してしまったようなモノだが、それでも恥じらいもなく放置サイトとして置き続けてはある。

今では更新履歴にすら残していないが、当初は、現実の温暖化の国際政治をフォローしつつ、国際政治学の理論に関する考察も載せていくつもりだった。しかし、怠惰な性格のため、なかなかよいペースで更新されず、内容の充実もままならないまま、今日に至る。

5年以上たった今、新たにブログにサイトの内容の一部を移行するに当たり、この学問分野に自分がどうして関心を持って、今はどういう風に思っているのか、初心に返る意味も含めて、改めて書いておくのも悪くないと思ったので、以下、ダラダラとまとまりもなく、書いてみることにした。

さて、「地球環境政治」というと、ちょっとこの分野に詳しい人、あるいは国際関係論や国際政治学をやっている人ではあれば、ガレス・ポーター&ジャネット・ウェルシュ・ブラウンの同名の著作を思い浮かべる人も多いであろう。僕の「地球環境政治」への関心もこの辺から始まっている。

入門 地球環境政治

入門 地球環境政治

  • 作者: ガレスポーター,ジャネット・ウェルシュブラウン,Gareth Porter,Janet Welsh Brown,細田衛士,児矢野マリ,西久保裕彦,村上朝子,城山英明
  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 1998/05
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 4回
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同書は、環境問題を国際政治学で扱う学問領域の標準的な教科書として有名である。また、翻訳があるというのも、日本で比較的良く知られている理由であろう。

僕が、地球環境問題をめぐる国際政治に興味を持ったのは、おそら米本昌平 『地球環境問題とは何か』 岩波新書 1994年や竹内敬二 『地球温暖化の政治学』 朝日選書 1998年といった、国際政治学の本というよりは、別分野の研究者/ジャーナリストの本をきっかけとするところが大きいが、国際政治学との接点を見ることができたのは、ポーター&ブラウンの上記著作によるところが大きい。

地球環境問題とは何か (岩波新書)

地球環境問題とは何か (岩波新書)

地球温暖化の政治学 (朝日選書)

地球温暖化の政治学 (朝日選書)

同書では、国際レジーム論という分析枠組みを用いて、各地球環境問題(越境大気汚染(酸性雨)、気候変動など)の国際政治に関して解釈を与え、説明を試みている。国際レジームというのは、ある問題領域に関して、国家間において形成される原則とか、ルールとか、意識決定の枠組みといった諸々の要素をひっくるめたものを呼ぶ。温暖化の場合だと、国連気候変動枠組条約とか、京都議定書とかいったフォーマルなものに加え、その背後にある暗黙の原則みたいなものも含んで、ひとまとまりで温暖化に関する国際レジームと呼ぶ。

当時の僕にとっては、それはとても新鮮だった。国際政治学にとって、最も大きな関心事項は、今も昔も安全保障であり、地球環境問題などというソフトなイシューにおける政治を扱う方法はあまりポピュラーではなかったといっても、間違いではなかろう。そういう中での一種の「新しさ」「物珍しさ」が、新しい物好きな僕の感性にフィットしたのだと思う。もともと、環境問題に関心があったのも事実だし、イシューとして、京都会議がきっかけで(大学が京都の立命館というところだった)温暖化問題に関心を持ったのもの大きかったが。

そんなわけで、ポーター&ブラウンの著作は面白く読んだ。もっとも、その後色々と勉強を進めるうちに、今では果たしてポーター&ブラウンによるレジーム論の導入やら、教科書としての適切さは多少疑問がある。しかし、初学者であった自分が面白いと思ってそれ以降勉強する気になったという事実を重視すれば、やはり良い入門書であると言うべきであろう。

イシューとしての温暖化問題に関する関心が深まっていく一方、ポーター&ブラウンの本を読んでから国際レジーム論というものをもっと深く知りたいと思うようになり、それ以降、色々と勉強するようになった。

国際政治学を勉強したことがある人にとってはお馴染だろうが、国際レジーム論は、特に70年代後半以降のネオリベラリズムと呼ばれる学派の中では主要な議論の1つだった。主に、ロバート・コヘインやオラン・ヤングといった論者によって牽引された議論である。一言で言えば、「なぜ国家は協力するのか」を説明する要因としてこの「国際レジーム」という概念が使用されたのである。

僕が傾倒したのは、上記の2名の代表的論者のうち、特にオラン・ヤングの議論だった。これも知っている人から見れば当たり前に聞こえるだろう。なぜなら、オラン・ヤングは、理論に関する考察の大部分を、環境問題をめぐる国際政治の事例研究の中から引き出していた人からだ。彼は、「環境問題に関する国際政治学」ではまさに巨人といってよい存在だったし、今でもきっとそうなんだと思う。

ただし、ヤングのレジーム論はちょっと特殊だ。一般的な国際政治学においては、クラズナーという人が出したレジームの定義が有名だし、コヘインの議論の方が(ネオリアリストとの対比において)よく引用され、説明される。

僕が勉強し始めた頃のレジーム論は、当然、少しずつ議論が進んできており、特に90年代になってからは、「有効性」(effectiveness)という争点が重要視されるようになってきていた。そもそも、レジーム論は、(ネオ)リアリストと呼ばれる学派の人々からは、「そんなもの所詮国際政治では重要な役割なんぞ果たしていない。あるように見えたとしても、それは既存の権力構造の反映にしかすぎず、国家の行動に影響なんぞ与えない」という批判にさらされてきた。つまり、そもそも「レジームが(国際政治において)重要なのかどうか」ということが議論の対象とされてきた。しかし、90年代以降は、そこから一歩進んで「『どのように』重要なのかどうか」が問題にされるようになってきた。これには、おそらく、GATTがWTOになっていったり、いくつかの環境問題の領域では確かにレジームが一定の役割を果たしているように見えるという「現実」が出てくるようになったことと、レジームが国際政治で重要な役割を果たしていることを示す最も手っ取り早い方法は、「どのように」効果が働いてるのかを示すことだからだと思う。それゆえ、「有効性」という議論に焦点が当たってきたのではないかと思う。

他の分野はどうだか知らないし、今、国際政治学の学界でどのような議論が戦わされているのかは、当然僕は知らないが、少なくとも環境を巡る国際政治学の分野では、この有効性に関する議論が、地道に掘り下げられているようである。

なんでそんなことが言えるのかというと、昨年出された本でも、そうした議論の延長線上の議論が追求されているからだ。その本は、上で述べたヤングと、アンダーダルという、ヨーロッパのオラン・ヤングみたいな人の共同編集で編まれている。タイトルも、Regime Consequences: Methodological Challenges and Research Strategiesといい、そうした問題関心の延長上にあることが見て取れる。

Regime Consequences: Methodological Challenges and Research Strategies

Regime Consequences: Methodological Challenges and Research Strategies

先日、この本を思いきって購入し、少しずつ読んでみることにした。最初の数章に目を通しただけだが、3年前の大学院生の頃に読んでいた議論の延長で読めるのに少しほっとすると同時に、まだまだあまり議論が進んでいないことに少し残念な気持ちも覚える。まあ、もともと進展の早い学問分野ではないのだが。

こうして、僕の問題関心の変遷を見てみると、意外に(?)平凡なのかなあと思ったりする。環境問題に興味を持ち、ヤングの議論やレジーム論を勉強するというのは、ある意味1つのパターンとして国際政治学をやる人にはありがちなパターンなのではないだろうか。

もう1点、別系統で興味のある議論があり、実は、大学院の修士論文はどちらかというとそっちで書いた(そして読み返すのも辛いほどの駄作に仕上がった)のだが、それはまた後日、気が向いたら書くことにしょうと思う。