海堂尊『チーム・バチスタの栄光』/『ナイチンゲールの沈黙』/『ジェネラル・ルージュの凱旋』 宝島社文庫 2007年/2008年/2009年

チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599)

チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599)

チーム・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 600)

チーム・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 600)

ナイチンゲールの沈黙(上) (宝島社文庫 C か 1-3 「このミス」大賞シリーズ)

ナイチンゲールの沈黙(上) (宝島社文庫 C か 1-3 「このミス」大賞シリーズ)

ナイチンゲールの沈黙(下) (宝島社文庫 C か 1-4 「このミス」大賞シリーズ)

ナイチンゲールの沈黙(下) (宝島社文庫 C か 1-4 「このミス」大賞シリーズ)

ジェネラル・ルージュの凱旋(上) (宝島社文庫)

ジェネラル・ルージュの凱旋(上) (宝島社文庫)

ジェネラル・ルージュの凱旋(下) (宝島社文庫)

ジェネラル・ルージュの凱旋(下) (宝島社文庫)


随分前に、「このミステリーがすごい」で大賞を受賞、という触れ込みで、本屋で平積みになっていた『チーム・バチスタの栄光』を衝動買いしたのだけれど、その後、なんとなく気分がのらず、積ん読になってしまっていた。それを、年末年始に読み始めたら、結構面白くて、『チーム・バチスタの栄光』だけにとどまらず、『ナイチンゲールの沈黙』、『ジェネラル・ルージュの凱旋』の2作も読み終えてしまった。ついでに、映画もDVDで借りてきて見た(で、1ヶ月以上もたってようやく今感想を書くというのも今更な気もするが、なんとなく気に入ったので書いておくことに)。

まず、『チーム・バチスタの栄光』については、「このミス」受賞作ということで、どんな大どんでん返しがあるのかと期待して読んだのだが、よい意味で期待が裏切られた。たしかに、ミステリー性はあるし、それなりの謎解きもあるのが、個人的には、この小説は大学病院を舞台にしたエンターテイメント小説であるといった方がしっくりくる。"ミステリー”な部分は、緊迫感を高めるための脇役でしかないような。できのよいアクション映画を見ているかのように、ぐいぐいと読ませる力がある。

ナイチンゲールの沈黙』は、Amazonのレビューなどを読むとけっこう評判が悪いのだが、これはこれでその良さがあるように思えた。『チーム〜』とはまた異色の小説だが、これもまた海堂ワールドの一端だと思えば興味深い。また、『ジェネラル・ルージュの凱旋』を楽しむためには、こちらを読んでおいた方がよい部分もある。

ジェネラル・ルージュの凱旋』は、『チーム〜』や『ナイチンゲール〜』で用意されてきた舞台をフルに使用して、病院の院内ポリティックスや救急現場の苦難(ほんとにこんな感じなのかは知らないが)、病院における「救急」が抱える構造的な問題をバックに、ある告発文調査を田口が進めるという形でストーリーが展開していく。前2作なくしてこの作品はないのだけれど、これら3作の中では最も面白いと思った。

シリーズを通しての面白さの要因は3つあった。

1つ目は、キャラクター造形が見事。主軸となる田口・白鳥をはじめとして、登場人物の性格付けがハッキリかつ魅力的だ。「次のシーンで、白鳥ならなんて言うのだろう」と思わせるような期待感がある。

2つ目は、作品を通じて、現代医療が抱える問題が浮かび上がってくるという社会性。著者は現役の勤務医らしく、出てくる病院内部の色々な問題にはリアリティが感じられる。

私は医療の現場は知らないので、これら小説に出てくる現状がどれくらい現実の問題を反映しているのかは確かめようがないが、『ナイチンゲールの沈黙』の解説では、著者は、元々Aiの必要性を訴えたくてこうした小説を書き始めたという紹介がされているので、少なくとも、ある一現場を反映した描写なのだろう。しかも、それが現実世界にちょっと影響を及ぼしているというのだから、著者はフィクション小説をもって当該分野に社会変革を起こすという、NGO的にもなかなか見逃せない偉業を成し遂げた(!?)ことになる。

3つ目の要因は、テンポよくかつ意外に修辞的な文章だろう。通常、上述のような社会性を伴った話というのは説明調の長い文章が多くなってしまいがちだが、それらがない。

難点を挙げるとすれば、アクティブ・フェーズやらパッシブ・フェーズやらの適用が、ちょっと現実離れして聞こえる部分だろうか。ま、そこもふくめて白鳥の性格とみるべきなのかも知れないが、他の登場人物の台詞でも、妙に現実場慣れした理屈っぽさが見られるところがあった。

さて、そんな小説をスクリーンに出した映画版だが・・・。

正直言って、ややガックリな内容である中村義洋監督が、私のお気に入りの映画である『アヒルと鴎のコインロッカー』(原作は伊坂幸太郎)の監督だったということもあり、結構期待して観たのだが、期待が外れてしまった。

映画化に合わせて、登場人物の設定をある程度変えるのは仕方がないにしても、このシリーズの魅力が田口・白鳥コンビを始めとする登場人物の性格にあることを考えると、やや変えすぎ、かつ改悪しすぎな感がある。

しかも、原作では、バチスタ手術という難易度の高い手術の緊張感がとてもよく伝わってくるのに、映像化されたこの映画の描写では驚くほど伝わってこない。これが、映画の起伏をだいぶ奪ってしまっているところがある。

原作には無いエピソードの挿入も、なんで原作のストーリーを削ってまでそれらを入れなければならなかったのかがよく分からない。映画化の場合、原作に忠実であれば良いというわけではないけれど、原作の良い部分であるスピード感もエンターテイメント性も出てなかったのは、原作を読んでからこれを見た人間としては残念だった。

これでヒットしたのだろうかと気になったのだが、どうやら、次回作がもうしばらくしたら封切りになるようなので、それなりに売れたのだろう。原作でも評判があまり芳しくない『ナイチンゲールの沈黙』は飛ばして、『ジェネラル・ルージュの凱旋』が映画化されたようである(3月7日から公開)。たしかに、映画として見るなら、『ジェネラル〜』の方が面白そうだ。個人的にはネコ師長を誰がやるのかに興味がある(もし削られてなければだが)。

でも、果たして十分に原作を活かせるか・・・?