江守正多『地球温暖化の予測は「正しい」か?』 化学同人 2008年

地球温暖化の予測は「正しい」か?―不確かな未来に科学が挑む(DOJIN選書20)

地球温暖化の予測は「正しい」か?―不確かな未来に科学が挑む(DOJIN選書20)

休日に本屋をぶらぶらと気ままに歩くのは私のストレス解消法の1つで、別に買う気はなくても色々と本屋を見て回るのは好きだ。

仕事柄、「環境」のコーナーがあると気になってついついじっくり見てしまうのだけれど、最近は、ずいぶんと温暖化のいわゆる「懐疑派」と呼ばれる方々の本が多いことに気が付く。「懐疑派」とそもそもひと括りにするのは乱暴で無理があるかもしれないが、その手の著作はけっこう色々とあって、それなりにまとまったものが多い。

これに対し、その批判の対象である「温暖化は起きていて、大事な問題である」と主張する主流派の人々が(このくくり方もいまいちだが、ちょっと他に良い言い方が思いつかない)、まとまって書いた本は意外と少ない。

勿論、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書があるじゃないかと言われればその通りなのだけれど、これを、「興味が湧いたので読んでみたい」という一般の人に薦めるのは酷である。

でも、IPCC報告書の内容を分かり易くした本は実は少なく、特に温暖化の「科学」の部分をきちんと一般向けに説明した本は意外なほどに無いのだ。特にIPCC第四次評価報告書が出てから(2007年後半以降)になるとかなり厳しい。

そんな中、主流派の中でも、この問題に関するモデル研究の第一人者とも言うべき人が書いた本書は貴重である。

本書は、第1章で、地球温暖化問題がどんな問題であるかを平易な言葉で説明している。この説明だけでもけっこう価値がある。

ただ、著者の真骨頂は第2章以降にある。気候モデルによる予測とは一体どういうものなのかを、モデルの仕組みにまで立ち入りながら説明している。ただし、数式は出てこず、あくまで一般的な読者を想定している(それでも、第3章は門外漢には結構難しいが)。

「気候モデルによる予測というのが、スーパーコンピューターで行われているのは知っているけれど、地球が全部再現できるわけでは無いのだし、どこまで信用していいのか分からない」という人にはオススメである。

ただし、予め書いておくと、本書が与えてくれるのは単純明解な答えではない。現状で出来るのは、不確かさの幅を狭くすることであると強調している。そして、気候モデルの仕組みをある程度理解することによって、それが不確かさの中で提供することのできる知見を活用する術を教えてくれる。

なんとなく、道の半分までは向こうから近づいてくれるけど、もう半分は、自分で歩いて下さいねと言われているような感じである。

本書の語り口は平易だし、分かりやすくもあるのだが、白黒はっきりついた話が聞きたい(読みたい)人にはじれったく思う内容かもしれない。

でも、そうしたじれったい作業こそが、本書が大事だと強調していることでもある。帯に採用されているので、敢えてここで抜粋するのも野暮かもしれないが、本書の「まえがき」には以下のような文章がある。

ひとが、よく知らない対象のことを、まったく疑わずに信じることも、まったく信用しないことも、比較的簡単だと思います。比較的難しいのは、対象の本質を理解したうえで、どの部分をどのように信じてよいか判断することです。世の中のすべてのものごとに対して、このような吟味をするのは、時間がいくらあっても足りないかもしれません。しかし、温暖化が世界の「重要そうな」問題として認識されつつある今、「温暖化の予測が正しいか」という問は、「少なからぬ人にとって、少し時間を使って吟味してもよい問の一つではないでしょうか。」(p.5)

私個人的には、こういう科学者としての姿勢は誠実で好ましいと思う。NGOの人間としては、そこをもう1つ思いきって単純化したり、それがいかに解釈される"べき”かという点を含めて説明することが必要な時もあるが、科学者はむしろこうした慎重な(prudent)態度をとるべきだと思う。

内容の構成で、もう少しこういう部分があったらいいなと思ったのは、地球の気候の仕組みについての若干突っ込んだ説明である。第1章において最低限の説明はあるし、各所で必要に応じて説明はあるのだが、もう少し掘り下げた説明があった方が、第3章の説明が分かりやすくなったような気がする。少し、第1章での説明と第3章でのモデルの仕組みを説明をしている時の地球の大気に関する理解レベルの想定に"段差”があるように感じた。

紙幅の問題と著者の思いが最も強いところをピックアップしたという構成上の事情があるのだろうと思うのだが。

いずれにしても、温暖化に関する教科書・入門書として外せない一冊だ。