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村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチ:原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を

温暖化 エネルギー

スペインのカタルーニャ国際賞授賞式で、受賞に際して村上春樹氏が行ったスピーチがちょっとしたニュースになっている。

今回の震災および東京電力福島第一原子力発電所事故について言及し、

我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

と、原発に変わるエネルギーの追求を訴えているからだ。

正直に白状すると、私は彼の本はそんなにたくさん読んだことがない。というか、1冊しかない(『風の歌を聴け』のみ)。

大学時代、私の周り友人の間でも結構流行っていたし、今では世界で通用する日本人作家として有名なので、なんとなく気にはなっているのだが、『風の〜』があまり私の感性にフィットしなかったので、読んでない。

だから、あまり村上春樹氏のことを語る資格はないのかもしれないけれど、今回のスピーチを読んでいて、共感するところが多かった。

たとえば、下記のような箇所。

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

そう、今回はやっぱり怒らなければならない。政府にも、東電にも、そして自分たち自身にも。

それから、「あっ」と思ったのは、広島の原爆死没者慰霊碑の言葉を引用していたこと。

この前、あるイベントに出席していて、ぼーっと色々なことを考えていた時、ふと、突然頭に浮かんだのが、やはりその言葉だった。2008年に、広島に旅行で行った時に、碑に刻まれているのを読んで、あまりに重い言葉だと途方に暮れた思ったのを覚えている。

安らかに眠って下さい
過ちは
繰り返しませぬから

碑の下には、いくつかの外国語の訳が刻まれている。英語では、下記のよう書かれていた。

Let all the souls here rest in peace
for we shall not repeat the evil

仕事で良く目にする国連文書で、"shall" という言葉が入ると、条文では最も重い類いの言葉になる。そんな感覚があるので、この英語訳の"shall" という言葉を見た時、ここに込められた思いの重さが

「原爆」と「原発」は違う、と言われるかもしれない。

でも、今、日本人が直面している危機の性質を見ると、どれほど「過ち」の質は違うのかと、思わずにはいられない。それは、単に原発1つだけの話ではなく、困難かつ危機的状況にあってのこの国の決断、もしくはその不在が、「過ち」につながるのではないかと思えてくる。

明日は(というよりもう今日だけど)、3月11日からちょうど3ヶ月だ。

全国各地で、脱原発の100万人アクションが実施される。グリーンピース・ジャパンなどは、エネルギーシフトパレードを代々木公園から出発させるそうだ