京都議定書の記念日と移行期に

今日は、あまり知られていないと思いますが、8年前の今日、京都議定書が発効しました。そして、今年は同時に、京都議定書の第1約束期間から第2約束期間への移行期の年でもあります。

京都議定書が持った意義は、単に先進国に排出量削減目標を課したというだけでなく、今日につながるいろんな仕組みをその中身に内包したことで、世界の気候変動政策を後押ししたことだと思います。

しかし、日本は、第2約束期間で削減数値目標を持たないという決定をして、京都から離れてしまいました。

京都議定書がきっかけでこの業界に足を踏み入れた人間としては、忸怩たる思いがあります。

「京都ではもうやっていけない」という決定が、京都よりもより良いものを構想して、自らも対策をやっていく、という決意であったならまだしも、今日の日本の取組みを見る限りにおいては、そうではなかったことが明らかです。

削減数値目標すら失い、対策の遅れは他国のせいにして憚らず、自国の削減よりも他国の削減の重要性のみを説いて回る傾向があります。「日本の素晴らしい技術が広がればもっと削減ができる」という話は頻繁に出てきますが、そうした技術を他国のニーズに合わせて、きちんと広げるような仕組みの構想は未だ出てきていません。二国間クレジットのアイディアがそれだと言われるかもしれませんが、残年ながら、削減目標がない状態でオフセットの仕組みを作ったところでドライブにはなりませんし、政府がお金を出し続けるならば、それは基本的に産業補助金の域を出るものではありません。

京都議定書のホスト国であった国としての誇りはそこにはなく、「忸怩たる」思いを、二重に感ぜずにはいられません。

難しく、厳しい時期ではありますが、国際社会の中で、日本が温暖化対策に先進的な役割を果たしていくことを諦めてはいけないと思います。それは、国内の対策でも、国際的な交渉でも。

「2℃」目標達成のためには、日本の排出量なぞは、2050年時点では事実上ゼロに近い値にしないと難しいことはよく知られています。新興国に厳しい対策を求めたとしても、日本が今よりはるかにチャレンジングな対策をとらなければならないのは、「気候変動という問題を重視するなら」、何も変わらないはずなのです。ならば、私たちは、着実に、対策を実施していくべきではないでしょうか。

京都の記念日にそんなことを思いました。