国連中心か、貿易交渉型か

昔からある論点なのだけど、コペンハーゲン会議以降の文脈で以前にも増して重要となっている論点として、国際的な気候変動政策は、国連中心でグローバルな協定の下で進めるべきか、それとも貿易交渉のようにボトムアップで、2国間もしくは地域間の協定を積み上げていくべきか、という問題がある。

これまでは、前者が基本的には志向されてきたが、コペンハーゲン会議があまりにも大変だったので、「むしろそっちの方が良いのではないか」という論調も出てきた。

元々、自由貿易を目指す貿易交渉も、戦後間もない頃に国際貿易機関(ITO)の創設が志向されたが果たせず、部分的な取り組みである貿易と関税に関する一般協定(GATT)から始まった。その後、2国間・地域間で実例を作り、世界貿易機関(WTO)設立へと繋がった。

現在の気候変動交渉の手詰まり状態を考えると、そうした論調が出てくるのもある意味仕方がない。

ましてや、最近のアメリカの不確実な状況を見れば、そもそもグローバルな合意なんぞ可能なのか、ということについて尚更不安になるのも分かる。

しかし、私は個別の合意を積み上げていく方式には問題があり、あくまで国連を中心として合意を作って行くしか道はないと考えている。

第一に、貿易交渉が開始された当時と比べて、この貿易分野での事例も含めて、国際協調の経験も増えているし、「気候変動」という問題がもつ相互依存性は当時よりも深くなっている。深い相互依存性は、交渉をより複雑にしている部分もあるが、グローバルなアプローチの必要性は高めている。リーケージ等の問題も、根本的な解決はグローバルな取り組みの中でないとできないであろう。

第二に、個別に合意を積み重ねていくとしても、最終的にはどこかで調整をしなければならず、その調整は却って至極困難なものになると予想できる。アメリカとと中国の合意は、アメリカとインドの合意とバランスが取れていなければならないだろうし、また、日本と中国との合意とも整合的であることが必要になってくるであろう。

第三に、個別合意を積み上げていく方式では、排出量削減の水準の(結果としての)決定から、気候変動の影響に最も脆弱な国々の声が排除される可能性が高いという倫理的な問題もある。

もっとも、既に行われているように、非公式な対話を世界各地で実施して、信頼を醸成するというのは重要だと思うので、完全な二者択一ではない。

しかし、最近の一部の論調がには若干の不安を感じる。