国じゃない「グループ」との対話の重要性

TEDをなんとなく見ていたら非常に興味深いスピーチがあった。

Jonas Gahr Støre: In defense of dialogue

15分程度のスピーチなので、英語が分る方は是非見て欲しい。本体のサイトの方にいけば原稿もあるし。

ノルウェー外相ヨーナス・ガール・ストーレ氏によるスピーチである。スピーチの要点はとてもシンプル。現代世界の政治的問題解決にあたっては、「対話」が大事だということ、それだけである。

至極当たり前のことに聞こえるが、このスピーチが面白いのが、その「対話」をする主体として、「外交官」が、もっと(国家ではない)「グループ」(「社会的集団」とてでも訳すべきだろうか)と対話をしなければいけない、という主張をしているところ。つまり、現代の外交においては、国家以外の主体との対話を重視しなければいけないと主張しているのだ。

彼は、最初の方で、近年にける紛争の内訳においては、「国家間」の紛争よりも圧倒的に「国家内」の紛争が増えてきており、伝統的な国同士の外交、つまり「外交官」vs「外交官」の対話だけでは不充分になってきている現状を説明する。

そして、テロリストであれ、社会的勢力であれ、市民社会であれ、国家ではない「グループ」との対話をきちんとしていくことが問題解決には必要だとの主張を展開していく。

そして、次のように続ける。

Another acknowledgment we've seen during these years, recent years, is that very few of these domestic interstate, intrastate conflicts can be solved militarily. They may have to be dealt with with military means, but they cannot be solved by military means. They need political solutions

ざっくり訳せば、以下のようになる。

近年分かってきたもう1つのことは、こうした国境内紛争が軍事力によって解決できるということは稀だということです。こうした紛争は、軍事力によって「対処」はできるけれど、「解決」はできないのです。政治的な解決が必要なのです

ここに見られる認識=外交はもはや国家間だけのものではなく、また、解決方法として軍事力では不充分である、という認識は、当たり前のようでいて大きな変化・先進的な変化のように思える。

国際関係論の分野ではtransnationalismという言葉で随分前から語られてきた話ではあるけれど、現場の外交官がその意識を持って、しかもアフガンやアラブの春を事例に出して語るあたりは非常に印象的だ。

さらに印象的なのは、アラブの春について語った部分。ここで、彼は、私たちはアラブの春が起きて、民衆が立ち上がったことを歓迎したけれども、歓迎してみて初めて、今度は、自分たちがほとんど彼ら(民衆)について何も知らなかったことに気付いたのだ、と述べる。なぜなら、殆どの政府は権威主義的な指導者の方針に従って彼ら(=民衆=”テロリスト”と見なされていた人たち)と対話してこなかったからだ、と認めている。

そして後半では、対人地雷禁止条約のオタワ・プロセスやネルソン・マンデラなども引きながら、立場を違えても対話することは可能だということを論じていく。

そして、最後の方では、気候変動問題の解決についても振れ、その中では市民社会との対話が大事だと述べる。そしてのその理由を以下のように述べる。

What is the legitimacy of diplomacy, of the the solution we devise as diplomats if they cannot be reflected and understood by also these broader forces of societies that we now very loosely call groups?

ざっくりと日本語に訳したらこんな感じだろうか。

外交の正統性とは何でしょうか?外交官が練り上げる解決策というものがもし、私たちが広く「グループ」とここで呼ぶ、より社会勢力の中でよく検討され、理解されないものだとしたら、その正統性はどこにあるのでしょう?

外交の正統性、つまり、そもそも外交とは何のためにやるのか、という問いにまで立ち返るのだ。それを、単に「国益のため」という言葉でくくるのではなく、世界の問題解決のための手段として位置づける意図が明確に聞いてとれる。

こういう言葉が外相から出てくるというのが面白い。どれくらい、実践を出来ているのかという問題は残るが、それでも。