堀正岳 中牟田洋子 高谷宏記 『モレスキン:人生を入れる61の使い方』 ダイヤモンド社 2011年

モレスキン 人生を入れる61の使い方

モレスキン 人生を入れる61の使い方

日々の生活や仕事、あるいは読書の中で、ふと思いつくことの中には、自分にとって大事だと思っても、そのまま流してしまって、後で「あれ、何かいいこと思い付いたはずなんだけどな〜」と思うことがけっこうある。

そういうちょっとした着想をきちんと「貯めて」おきたくて、2年ほど前から、モレスキンのノートブックを使っている。本屋の片隅とかでもたまに売っている「ピカソも愛用した」とかいう黒くてごついノートである。

元々、ノートをこまめにとるということが苦手なので、結構、途切れ途切れでのノートになっているが、少しずつ活用の仕方が分ってきたような気がする。

別にモレスキンのノートブックである必要はないのだけれど、この本の著者の一人である堀正岳氏の前著であるモレスキンに関する本に影響された部分もけっこうある。

モレスキンのノートのいいところは、外側のカバーが通常のノートに比べると頑丈なので、割合と荒い扱いにも耐え得ること。これは、かばんの中になんでも詰め込んでしまう習性のある私みたいな人間にとっては重要だ。それから、ページ数が多いこと。これは、多少、無駄だと思うことでもとりあえず気になったら書くというためには意外と大事だったりする。

それはともかく、この本はそんなモレスキンのノートを使う人たちの事例集を、写真付きで紹介した本だ。この本も買って読んだのはだいぶ前なのだけれど、今改めて眺めてみても結構楽しい。

昔からノートをとるという作業がへたくそだった人間としては、ここに載っているノートの事例の数々を見ると、よくもまあこんなに色々と工夫のしようがあるものだと感心してしまう。

いくつか、印象に残ったものを挙げると、

  • とにかく「貼る!」「引用する!」というもの。これは色々なノート論に出てくるが、実際に役に立つ。特に、雑誌記事でも何でも貼り付けるのは意外と大事。これは、その記事を読んだ時の自分の心境を思い出すのにも。
  • 読書感想は、「文」とは限らないというもの。これは、自分では実践してないが、何かについての感想を絵などで残すと言うもの。自分にはない自由発想、できない発想で、おもしろいと思った。
  • Urban Sketchersという名前のコミュニティがあること。モレスキンのノートに、スケッチをする人たちのコミュニティだそうだ。道具としてのノートの周りに、こうした濃いコミュニティが出来るというのはすごいことだと思った。
  • 贈り物として使うということ。前述の通り、モレスキンはページ数が多いので、下手するともったいない使い方になりそうだけれど、高級感のある装丁をもつモレスキンであれば使えるのだろうなとも思う。
  • 子供の成長日記に使うということ。これは、モレスキンに限らず、多くの親御さんたちがやっていることだと思うが、あんまりこういう「記録」的な側面に関心がなかった自分にはやや新鮮な使用法だった。
  • 刑事の方が使っているという事例。テレビや映画の影響で、刑事が持つ手帳というと、リングタイプでしかも上にリングがついているタイプのイメージがあったので、少し意外だった。まあ、確かに、耐久性があるノートが求められるのだろうなと納得

この他にも、自分のノートに取り入れられそうなちょっとした工夫もあれば、自分じゃとてもこうはできないなというものまで色々ある。それでも、他人のノートを写真付きでのぞけるのは、自分のノートを見直して新しいあり方を考える良い機会になる。

伊坂幸太郎 『モダンタイムス』 講談社文庫 2011年

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

モダンタイムス(下) (講談社文庫)

モダンタイムス(下) (講談社文庫)

この作品の前の時代を描いた『魔王』が個人的には伊坂作品の中でも特に好きだったので、本作も文庫化されるのを心待ちにしていた。

心待ちにしていたにしては、本屋で購入してから読むまでに随分と時間が経ってしまったが、先週のイギリス出張の行き帰りの飛行機の中でようやく読了することができた。

伊坂氏本人がどこまでそれとして意識したのかどうかは別として、本作のテーマは「システム論」であり、還元主義・個人主義に対置されるような「構造主義」だ。なんて書くと難しく聞こえてしまうが、作品自体はそんな小難しい言葉で高尚ぶって話を展開しているわけではない。伊坂作品らしい、伏線と、独特のユーモアと、飄々とした会話の中で、得体のしれない「世の中の仕組み」が、個人を翻弄していく様と、それにそれぞれの形で抗う主人公たちの姿を描いている。

あらすじを書くとネタバレになるところもあるので難しいが、主人公の渡辺拓海は、一回のシステムエンジニア。ある時、先輩である五反田が途中で投げ出してしまったという仕事を引き継ぐことになった。それは、なんの変哲もないウェブサイトの登録画面に項目を追加するだけの簡単な仕事のはずだったが、そのウェブサイトの変更のために、ちょっとその仕組みを調べ出したことで、周囲に変なことが置き始める。特定の言葉と言葉を組み合わせて「検索」をすると、何かが始まる。やがて、主人公は、誰が黒幕なのかも分らない、巨大な「仕組み」に翻弄されながらなんとか活路を見いだそうとするが・・・というお話。

書いてみたら、びっくりするくらい魅力が伝わらない感じになってしまったので、これを読んで「つまらなそうだ」と思ってしまった人は、ぜひ本屋で下巻の「解説」を読んで欲しい。

※ここからはほぼネタバレに近いので、あまり中身を知りたくない人はご注意下さい。

この作品には、悪いヤツ、と呼べる人物は登場するが、「悪者」は登場しない。だが、主人公とその周辺の人たちは、次々にいろんなことに巻き込まれ、中には酷い目にあう人もいる。今の世の中の仕組みとして「そういう風になっている」から。よくある冒険小説のように、最後に「悪者」が出てきて、そいつを倒してハッピーエンド、とはならない。

作品自体は、いつもの通り、ファンタジックな内容で、寓話的な雰囲気があるのだけれど、描いているものは、現代の社会をよく表していると思う。

現実の世の中を見てみると、貧困問題にせよ、紛争にせよ、環境問題にせよ、多くの人々にとって悪いことは確実に起きているけれど、「こいつが悪い」と、全ての責任をおっかぶせることができる「悪者」がいることは稀だ。もちろん、これは悪いヤツがいないということじゃない。悪いヤツはいるのだ。しかし、それよりも大きな、何だか知らないけれど、得体のしれない世の中の仕組みによって、突き動かされて、悪いことが起きている部分もある。

そんな時、人々はどうするのか?

この作品の面白いところは、様々な登場人物たちの口を借りて、いろんな対応の仕方が語られることだ。

作中には「井坂幸太郎」というナンパな作家が登場する。あとがきを読むと、この登場人物は、単に名前を考えるのが面倒になったのでこの名前にしたとの説明があるが、確かに、実際の伊坂氏がこんな感じ人物だとしたらファンも減ってしまうのではないかと思われる感じの人である。

ただ、その彼の台詞の中で、これは伊坂氏自身が語りたかったことなのじゃないかな、と思わせる部分がある。そのナンパな「井坂」氏が、「小説で世界を変えられると思っていたけど、変えられないことが分かってきた」という独白があった後にこう語る。

「いいか、小説ってのは、大勢の人間の背中をわーっと押して、動かすようなものじゃねえんだよ。音楽みてえに、集まったみんなを熱狂させてな、さてそら、みんなで何かをやろうぜ、なんてことはできねえんだ。役割が違う。小説はな、一人一人の人間の身体に染みていくだけだ」

そして、その後に、このように語るのだ。

「だから、考えを変えた。一人くらいに。小説で世界なんて変えられねえ。逆転の発想だ。届くかも。どこかの誰か、一人」

言葉とは裏腹に、世界を変えることを諦めたわけじゃない雰囲気が伝わってくる。諦めたわけじゃなくて、目の前にある、一つのことを変えることから始めようという、そんなメッセージのような気がした。

これは、本作を通じて、もっと言えば、前作である『魔王』を通じて読むと、そんな気にさせられる。

最後の最後に、主人公である渡辺拓海は意外な選択をするけれども、それも1つの選択。「勇気はあるか?」という、序盤で出てくる台詞に、面白いオチがついてる。

柔軟性メカニズムをめぐる国連交渉について

再度、勉強し始める必要が

震災後、仕事の中でエネルギー政策関連に割く時間が多くなったので、気候変動の国連交渉について割いている時間が相対的に少なくなってしまった。

自分がこれまで担当としてやってきた柔軟性メカニズムをめぐる国連交渉のフォローも、NGOの中での議論のとりまとめも、かなりサボってしまっている。

でも、今年もそろそろ秋口が見え、年末の国連会議がそろそろ見えてきているので、このままじゃまずい。

ということで、少し、自分の時間を使って、柔軟性メカニズムの最近の議論について勉強し直すことにした。ブログに、個人的に勉強したりまとめたりしたことをこちょこちょと書いていけば、頭の整理にもなるんじゃないかと期待している。

また例によって3日坊主で終わるかもしれないけど、ちょこっとずつ書いていくつもり。

柔軟性メカニズムの「種類」と議論の「場」

最初は、柔軟性メカニズムの「種類」と、国連交渉の中での議論の「場」の整理。

「柔軟性メカニズム」(flexible mechanisms)は、元々は、京都議定書の目標達成に柔軟性を持たせるために導入された3つの仕組みのこと。具体的には、クリーン開発メカニズム(CDM)、共同実施(JI)、(国際)排出量取引の3つを指す。これらは、温室効果ガス排出の削減量に経済的(金銭的)価値を付与する仕組みでもあるので、よく「市場メカニズム」(market-based mechanisms)とも呼ばれる。また、京都議定書で導入された仕組みだから、「京都メカニズム」(Kyoto Mechanisms)とも呼ばれる。

ところが、ここ数年では、「柔軟性メカニズム」や「市場メカニズム」と言った場合、これらだけにとどまらなくなってきた。

未だ構想・アイディアの段階でしかないが、「セクトラル・クレディティング・メカニズム」「セクトラル・トレーディング」「NAMAクレディティング」などの新しいメカニズムが、柔軟性メカニズムの一部として議論されるようになってきた。様々な国々が、それぞれの立場で提案をしている。有名なのは、EU、ニュージーランド、韓国など。

それぞれのメカニズムの特徴については次回以降に譲るとして、とりあえず上のと区別すると、これらは、「新しいメカニズム」(new mechanisms)と呼ばれたりする。これに対して、既にある京都議定書の柔軟性メカニズムは「既存のメカニズム」(existing mechanisms)と呼ばれたりする。

「既存」と「新しい」メカニズムは、ここ数年の国連交渉では違う場で議論&交渉されてきた。

既存のメカニズムは京都議定書の特別作業部会(AWG KP)で主に議論・交渉がされてきた。これに対して、新しいメカニズムは枠組条約の特別作業部会(AWG LCA)で主に議論されてきた。場は別々だけど、遅々として交渉に進展が見られないのはどっちも変わらない。

ここではあえて単純化しているけれども、現実には、2つの種類の議論の境界線は曖昧なので、厳密に分かれているわけではない。しかも、最近の交渉では、こういう議論の場の区別が当てはまらないケースも出てきているので、少し注意が必要だ。

また、言うまでもなく、両者の議論は密接に関連しあっており、各国代表団の交渉官は同じ人がやっていたりするケースが多い。

それぞれにいくつもの論点があり、なかなかに興味深い。

おいおい整理していきたいが、個人的な見通しを言うと、今年の年末の南アフリカ・ダーバンでの国連会議(COP17・COP/MOP7)では、この柔軟性メカニズムをめぐる議論は、全体の中ではそれほど重要視はされないと思う。そもそも、これの使用の前提となる削減目標の議論がおぼつかないからだ。

他方で、ビジネス関係者の中には、既存のメカニズムの2013年以降の扱いがどうなるかについて、やきもきしながら注目している人も一部いるはず。

まあ、そういう話もそのうちに。

村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチ:原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を

スペインのカタルーニャ国際賞授賞式で、受賞に際して村上春樹氏が行ったスピーチがちょっとしたニュースになっている。

今回の震災および東京電力福島第一原子力発電所事故について言及し、

我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

と、原発に変わるエネルギーの追求を訴えているからだ。

正直に白状すると、私は彼の本はそんなにたくさん読んだことがない。というか、1冊しかない(『風の歌を聴け』のみ)。

大学時代、私の周り友人の間でも結構流行っていたし、今では世界で通用する日本人作家として有名なので、なんとなく気にはなっているのだが、『風の〜』があまり私の感性にフィットしなかったので、読んでない。

だから、あまり村上春樹氏のことを語る資格はないのかもしれないけれど、今回のスピーチを読んでいて、共感するところが多かった。

たとえば、下記のような箇所。

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

そう、今回はやっぱり怒らなければならない。政府にも、東電にも、そして自分たち自身にも。

それから、「あっ」と思ったのは、広島の原爆死没者慰霊碑の言葉を引用していたこと。

この前、あるイベントに出席していて、ぼーっと色々なことを考えていた時、ふと、突然頭に浮かんだのが、やはりその言葉だった。2008年に、広島に旅行で行った時に、碑に刻まれているのを読んで、あまりに重い言葉だと途方に暮れた思ったのを覚えている。

安らかに眠って下さい
過ちは
繰り返しませぬから

碑の下には、いくつかの外国語の訳が刻まれている。英語では、下記のよう書かれていた。

Let all the souls here rest in peace
for we shall not repeat the evil

仕事で良く目にする国連文書で、"shall" という言葉が入ると、条文では最も重い類いの言葉になる。そんな感覚があるので、この英語訳の"shall" という言葉を見た時、ここに込められた思いの重さが

「原爆」と「原発」は違う、と言われるかもしれない。

でも、今、日本人が直面している危機の性質を見ると、どれほど「過ち」の質は違うのかと、思わずにはいられない。それは、単に原発1つだけの話ではなく、困難かつ危機的状況にあってのこの国の決断、もしくはその不在が、「過ち」につながるのではないかと思えてくる。

明日は(というよりもう今日だけど)、3月11日からちょうど3ヶ月だ。

全国各地で、脱原発の100万人アクションが実施される。グリーンピース・ジャパンなどは、エネルギーシフトパレードを代々木公園から出発させるそうだ

IPCCの再生可能エネルギーに関する特別報告書の図表

5月9日に、IPCCが再生可能エネルギーに関する特別報告書の「政策決定者向けの要約」を公表した

5年程度の間隔で、その時々の気候変動に関する科学の集大成として出される「評価報告書」を「本編」とすれば、この特別報告書はいわば「番外編」とも言える。

過去にも、個別のテーマについて特別報告書は何編か編まれている。森林吸収源、CCSなどのテーマがあった。

今回の再生可能エネルギーの報告書は、日本の震災および原発事故の後に出てきたので、タイムリーな感じもするが、今回の報告書の作成自体は震災よりもはるか前に決まり、作成自体もそれ以前から行われていた。

今回の報告書、いろいろな図表が詰まっていて面白い。

まず、「ポテンシャル」については、各エネルギー源ともに、世界の需要をまかなう分なんてそもそも問題ではないくらいあることがよく分かる図があったり(横線が引いてあるところが、世界全体のエネルギー需要や電力需要)、

世界的にみれば、ほとんどの再生可能エネルギーが、化石燃料に対してコスト面でも競争力をつけてきていることが分かる図があったり(グラフの中で、ちょっと肌色が濃くなっている部分が化石燃料の価格帯)、

風力や太陽光のコストというのは、量が増えるほどしっかり下がってきていることがよくわかる図があったり、

検討された164のシナリオの中には、2050年の再生可能エネルギーからのエネルギー量が300EJ/年を超えるものがけっこうあって、世界全体CO2排出量が150億トンを切るのは意外とめずらしくない(現在は300億トンくらい)のがよく分かる図があったりする。

ま、分かりにくい部分もあるのだが、環境省が、日本語での解説資料も作っているので、結構活用のしがいがあるかもしれない。

6月14日に、「要約」ではない、本体の報告書の方も出るが、そちらにも面白い内容があるかもしれない。

ちなみに、上の図表で、赤い丸や線がひっぱってあるのは、私が勝手に引いたもので、オリジナルにはないので注意してほしい。

CO2排出量や温室効果ガス排出量の統計

温室効果ガス(CO2)排出量の統計について意外と解説が少ないので、ちょっと書いてみる気になった。

まず、どの統計も、CO2という1種類のガスのみの話をしているのか、それとも温室効果ガス全種類(通常はCO2も含めて6種類)の話をしているのか、少し注意をする必要がある。

手っ取り早く図表が欲しい場合

細かいことはどーでもいいから、明日のプレゼンや会議資料のために図表が欲しい、っていう時があるかもしれない。そういう時は、全国地球温暖化防止活動推進センター(JCCCA)という組織が用意している「すぐ使える図表集」というのが便利だ。基本的なものは揃っている。多少、表現の仕方の好みが合わないこともあるかもしれないが、明日必要なら贅沢は言ってられない。

また、日本だけに限って欲しいなら、環境省が毎年公開している温室効果ガス排出量を参照するのが良い。こちらの方が、やや詳しい。

日本の排出量

日本の排出量については、上で挙げたた環境省資料の中に大体のことは書いてあるので、事足りるだろう。

もうちょっと細かい数字が必要であれば、その環境省がまとめているものの元ネタである国立環境研究所の温室効果ガスインベントリオフィス(GIO)のデータがある。

これであれば、相当に細かいデータが手に入る。

ただし、これらのデータは、1990年までしか遡れない。それより前の数字が欲しい時には、紙ベースの資料になるが、日本エネルギー経済研究所の『エネルギー・経済統計要覧』が便利だ。ちなみに、同書は、エネルギーや温暖化政策を議論する上ではかなり便利なデータ集だ。同研究所の会員であれば、データへのアクセスをオンラインでできる。

世界全体および各国の排出量

世界全体および各国の排出量については、次の4つが有名だろう。

WRI

まず、World Resources Institute (WRI) のCAITというサービスがもっとも便利だ。インタラクティブなメニューから、順番に選択していくことによって、必要なデータを入手出来る。CO2以外の温室効果ガス排出量データも手に入るという点においては秀逸だ。

最新のデータではないこともあるが、1年程度の遅れがあるだけなので、支障はほとんどない。初回は登録が必要だったり、使い方に一癖あったりするが、慣れればどうってことはない。

IEA

次に、国際エネルギー機関(International Energy Agency; IEA)が毎年発行する CO2 Emissions from Fuel Combustion という統計資料がある。こちらは、報告書全体は有料で結構な値段がするのだが、Highlights と呼ばれる要約版は無料でダウンロードできる。しかも、近年はExcelファイルとしてもダウンロードできるので便利だ。

報告書全体には、1971年からの排出量データがあったり、部門別・燃料区分別のデータもあるので、国際的な分析に有用だ。

オークリッジ国立研究所

3つ目として、アメリカのオークリッジ国立研究所のデータがある。こちらは、最も早い時期からの排出量データが国ごとにあり、歴史的な分析に適しているし、無料である。

UNFCCC

最後に、国連気候変動枠組条約事務局のウェブサイトが、各締約国から提出されたデータを管理して、公開している。上記のデータの最大の違いは、CO2以外のガスのデータがあることと、吸収源に関するデータもあることである。

ただし、WRIのデータも、選択をすれば、この条約事務局で公開されているデータで表示させることができるので、実際にはあまり使うことはないかもしれない。

各国の詳細データ

上で紹介した日本のインベントリのように、細かいデータは、それぞれの国において、政府が公表していることが多い。国名とともに、「GHG」や「inventory」といったキーワードで検索してみるとよい。