ドイツでの前進、オーストラリアでの後退

メルケル独首相は再びやる気になったのか?

2010年から開始され、今年で5回目の開催となる「ピーターズブルク気候対話」(2014年7月14・15日;ドイツ・ベルリン開催)において、メルケル首相が行ったスピーチが注目を集めています。



そのスピーチの中で、メルケル首相は、国連のグリーン気候基金(GCF)に対して、7億5000万ユーロ(約1000億円)を拠出すると宣言したそうです。いくつかのニュースメディアが報じています。私はドイツ語読めませんが、多分、下記の部分でしょうね。

Ich darf für Deutschland sagen, dass wir unsere Verantwortung wahrnehmen. In der sogenannten Fast-Start-Periode von 2010 bis 2012 haben wir jährlich rund 1,4 Milliarden Euro aufgebracht. 2013 haben wir unser Engagement auf 1,8 Milliarden Euro erhöht. Und wir wollen unseren Beitrag jetzt noch einmal aufstocken. Zur Finanzierung haben die Vereinten Nationen den „Green Climate Fund“ ins Leben gerufen. In diesem Jahr steht die erste Kapitalisierung des Fonds an. Wir werden uns daran beteiligen, und zwar mit bis zu 750 Millionen Euro. Wir hoffen und setzen darauf, dass andere Staaten ebenfalls einen angemessenen Beitrag leisten.
ガーディアンの記事の中では、ノルウェーの ボアージ・ブレンデ外務大臣(Foreign Minister Boerge Brende)が、ノルウェーも、9月23日に予定されている潘基文国連事務総長主催の気候サミットにおいて、GCFへの拠出を宣言すると話していると言及されています。
GCFは、2010年のカンクン合意によって設立が決まった基金で、今後の気候変動対策に関する国際資金支援の中で主要な役割を担うことが期待されています。途上国は、150億ドル(1兆5000億円)相当の拠出を要求しています。
メルケル首相が気候変動問題について強いリーダーシップを発揮するのは久しぶりなので、上記の記事はみなそのことについても触れています。アメリカ、中国で最近、相次いでポジティブな動向が見られたことに呼応しているのかもしれませんね。
徐々にではありますが、各国のリーダーたちは、今年のリマでのCOP20・COP/MOP10、そして、来年のパリでのCOP21・COP/MOP11に照準を合わせてきているのかもしれません。

オーストラリアの後退

ドイツでそうした動きが見られる一方で、残念なニュースも出てきました。オーストラリアの議会において、排出量取引制度が廃止されることになったというニュースです。

オーストラリアでは、2011年に法案(The Clean Energy Act 2011)およびその関連法案(まとめて、the Clean Energy Future Package と呼ばれます)が通り、2012年から排出量取引制度が始まっていました。
「ん?排出量取引制度?」と思われた方もおられるかもしれませんが、メディアによっては、この制度のことを「炭素税」と呼んでいたりします。
これは同制度が、当初は、最初の3年(2012〜2015年)においては、事実上の炭素税に近い仕組みとして機能し、2015年から排出量取引制度へと移行するということになっていたためです。昨年のこの排出量取引制度への移行時期が1年早められ、2014年に移行がされることが決定されていました。この辺の制度の仕組みについては、WRIとThe Climate Institute が共同でまとめたペーパーに詳しく解説がされています。
昨年9月、選挙があり、政権が中道左派労働党から、保守連合自由党と国民連合)に交代しました。保守連合は、選挙の時から、炭素税/排出量取引制度を廃止すると宣言しており、今回のオーストラリア議会(上院)の決定は、それが残念ながら実現してしまったものです。
保守連合は、いちおう、単に廃止するだけではなく、Direct Action Plan と彼らが呼んでいる、逆オークションを活用した排出量削減の仕組みを提案しています。これは要するに、事業者に競争入札をさせて、最も安い削減方法を提案した所に政府からお金を出すという方式のようです。ただし、詳細は明らかにされていない上、全体としてどれくらいCO2を削減するのかという数値は設定されない予定です。このため、オーストラリア国内では、気候変動を重視する人々から懸念の声があがっています。
いくつかの国々が、2015年合意へ向けて議論を加速させる一方で、(日本も含めてですが)一部の国々ではこうして後退が見られます。まだまだ、来年の国際合意へ向けての道のりは険しそうです。

気候変動/温暖化問題の盛り下がり?

仕事で環境に携わる人たちと話をしていると、ここ何年かの傾向として、あきらかに気候変動/温暖化問題への関心が下がってますよね〜という話が出ます。
これは、日本国内では如実にそうですが、他の国のNGOメンバーと喋っていてもそうです。国際的には、ここ最近、IPCC第5次評価報告書の影響などもあって、また少し持ち直してきた感はありますが、それでもまだ一時期に比べると位置づけは低いと言えるでしょう。
こういう「盛り下がり」について、感覚としてだけでなく、ある程度定量的に定期的に調べている調査があります。
コロラド大学ボルダー校の研究グループとして設置されたICE CaPs (the International Collective on Environment, Culture and Politics) によるプロジェクトです。同プロジェクトは、世界全体と、いくつかの国々の主に新聞での気候変動関連記事の掲載状況を調査しています。
まず、世界全体について見たのが下記。



バリ会議のあった2007年くらいから盛り上がりが見られ、コペンハーゲン会議があった2009年12月にピークをむかえ、その後、記事の掲載数が下がっているのがよく分かります。
次が、日本について見たもの。1つ目が、主要三大紙を見たもので、2つ目が、それ以外も含めて見たもの。



こちらも、世界の動向と似ています。日本の場合、2008年くらいにもう一度ピークが来てますが、これは、北海道の洞爺湖でG8サミットが開催され、その時に気候変動が主要トピックの1つであったからだと思います。
私もこの洞爺湖G8サミットには行きました。行ったといっても、サミットの場合、NGOはメディアと一緒に、隔離された国際メディアセンターに基本的は缶詰めなんですけどね。
日本の分の調査は、国環研(国立環境研究所)の研究者の方々がやっておられるようです。
「新聞への掲載記事数」が、必ずしも「世論の関心」を代表しているとはいえないという意見もあろうかと思いますが、相当程度反映しているとは思うので、よい代理データ(プロキシー)ではあると思います。
私もたまに仕事で講演をする時に、感覚だけじゃなくて,本当に盛り下がってますよねと言うときに使わせて頂いたりします。
来年のパリでのCOP21・COP/MOP11に向けて、どれだけ、もう一度盛り上がりを作れるか。
ただ、コペンハーゲン会議の時盛り上がったものの、成果が伴わないと、またショックが大きくなってしまうので、あまりセンセーショナルに盛り上がったり盛り下がったりするのではなく、持続的に関心が払われることが重要なのだと思います。

IPCC第5次評価報告書第2作業部会報告書の発表

3月31日(月)、IPCC気候変動に関する政府間パネル)の第5次評価報告書の第2作業部会の報告書が発表されました。

いずれも最終の編集・校正作業が終わる前のもののため、リンクのURLはいずれ変わります。

今回の第2作業部会の報告書は、昨年9月に発表された第1作業部会の報告書に続くものです。第1は「自然科学的根拠」をテーマとしており、人間活動が気候変動の原因であるのか否か、気温上昇幅や海面上昇幅の予測などを扱っています。第2は「影響・適応・脆弱性」をテーマとしており、気候変動によって引き起こされる影響は一体どのようなものがどれくらい出てくるのか、そうした影響への適応の可能性はどれくらいあるのかなどが扱われています。

このあと、来週に第3作業部会があり、「気候変動の緩和」、つまり対策面での科学的知見がとりまとめられて、3つの作業部会の報告書が出そろうことになります。

今回の第2作業部会の報告書は、前回2007年の第4次の時と比べると、その間に蓄積された研究によって気候変動による影響に関する確信度が高くなっている他、「2℃上昇」と「4℃上昇」の世界における影響の対比に重点が置かれていたり、地域ごとの分析にも深みが増していたりします。

日本政府による簡単な発表はすでに出ていますが、第1の時と同様、日本語訳や解説のページもいずれ掲載されると思います

今回は珍しく、IPCCによるビデオもあります。残念ながら日本語はありませんが。

また、報告書が発表された際のプレスカンファレンスの模様も録画されています。こちらは、ウェブサイトの方に行けば、日本語の同時通訳が付いているものもあります。また、使われたプレゼンテーションも便利です

この他、日本の各NGOから出ているプレスリリースや解説等としては、以下があります。

政府審議会のペースが遅い

先週19日と今週24日に、それぞれ、温暖化とエネルギーに関する審議会が開催されまいた。

前者は、正式には、

というやつで、環境省経済産業省の合同審議会です。前回のポストでは、NGOからの国連気候変動ボン会議の報告を紹介しましたが、こちらには、政府による温暖化国際交渉の現状という資料もあります。

いつも思うのですが、政府が作る資料って、審議会の配付資料の中にかなり重要なものがあったりするので、当該政策分野の調べものをするときには、こういう場所も見てないとダメだったりするんですよね。

後者のエネルギーの方は、正式には、

という名前になります。エネルギーの方は、Ustream中継もされたので、こちらのアーカイブもみることができます。

両方を傍聴して感じたのは2つ。

1つは、議論のペースが遅いな〜ということ。両方とも、ここのところ、月1回程度のペースでしか開催されておりません。温暖化の方で言えば、COP19までに2020年の目標の見直し結果を提示するというのが総理指示ですが、現状の議論のペースではとてもそのままいくとはとても思えません。エネルギーの方も、年末にエネルギー基本計画をまとめるという予定のはずですが、このペースだとできるのかな、という感じです。

お役所としては、参院選の結果が出るまで待ってから、という方針だったのかもしれません。この後、ペースアップした議論が行われるのでしょうか。

もう1つは、議論の中身について。特に温暖化の方です。

今回の会議でも、「2020年目標は数値としては出さなくてもよいのでは。エネルギー基本計画のエネルギーミックスの議論を待つべき」というような意見も出ていおり、正直、「おいおい、それじゃあ、交渉官はかわいそうだ」と思いました。

日本は震災以降、2年以上が経過する中で目標の見直しを続けてきました。2020年の目標は、京都議定書に入っている国も、そうでない国も、きちんと取り組んでいるというのが今の国際交渉での前提です。2014年1月1日には、隔年報告書(biennial report)という、2020年へ向けての「進捗」を報告する報告書も出すことになっています。その中で、日本は目標すら「まだちょっと待って」の状態なのです。

その上で、現在交渉中の2015年合意に入れるべき、2020年以降の目標(2030年?)をこれから交渉しようというのですから。

今回の議論では、2030年目標に関する議論も、論点としてすらありませんでした。これもまた、不安な兆候です。

環境NGOの人間としても不安ですが、一人の日本人としても、またもや国連交渉で日本は積極的な役割を果たせない可能性が高いなという予感がしています。

6月の国連気候変動ボン会議に関するNGO報告

ふと思い出したように更新。

もう既に1ヶ月以上たってしまいましたが、6月3日〜14日に国連気候変動会議が開催されてました。

政府による「結果概要」は下記。

IISDによるEarth Negotiations Bulletinの該当ページは下記。

7月2日には、参加したNGO合同で、報告会も開催しました。その報告会の模様は、資料と一緒に下記にまとめてあります。

WWFジャパンの名前でまとめてますが、日本の気候変動系NGO合同で実施した報告会です。

あと、手前味噌ですが、自分で文章としてまとめた報告も下記に。

安保理と気候変動

先日の安保理会合は、日本にとっては当然北朝鮮問題が注目の話題だったわけですが、実は、その脇で気候変動の話題も採り上げられました(2月15日)。

といっても、安保理の正式な話題として採り上げられたのではなく、イギリスおよびパキスタンの呼びかけでもたれた特別会合のような位置づけだったようです。私も詳しくは知りませんが。

その場の様子は、Rachel Kyte さんという世銀の方のブログで少し読むことが出来ます

中でも印象的なのは、マーシャル諸島のトニー大臣のお話を書いた下記の部分でしょうか(訳す元気がないので英語のまですいません)。

Perhaps most moving of all, Minister Tony deBrum from the Marshall Islands recounted how, 35 years ago, he had come to New York as part of a Marshall Islands delegation requesting the Security Council’s support for their independence. Now, when not independence but survival is at stake, he is told that this is not the Security Council’s function. He pointed to their ambassador to the UN and noted that her island, part of the Marshall Islands, no longer exists. The room was silent.


我らがClimate Action Network (CAN) 代表のWaelもスピーチをしたようです。CAN International のウェブサイトにプレスリリースが載ってます。OxfamからはTim Goreさんが喋った模様。

こうした、「気候変動を安保理で話す『安全保障』事項に押し上げよう」という動きは、数年前からあります。有名なのはイギリスが推し進めた「気候安全保障」(climate security)という概念でしょう。

ただ、一般の感覚からすると、まだまだ「温暖化と安全保障は違うでしょ」という感じではないでしょうか。

確かに、伝統的に、「安保理が対象とするような安全保障問題」というのは、それこそ今回の北朝鮮の核実験のように、「戦争に関係する、あるいはしかねない事項」というのが一般的な理解だと思います。あるいは、ソマリア紛争のような国内紛争。

ただ、9.11以降のテロが「国と国との戦争」という概念から飛び出たのと同じように、実はそれ以前から、こうした狭い意味での「安全保障」という概念を見直そうと動きはありました。

それはとりもなおさず、一体何を持って「安全(security)が保障された状態」といえるのか、という問いに直結します。戦争は解りやすいので、戦争がない場合だというのは分かり易いですが、最近の世の中では戦争なんてなくなって、安全とは言えない状況はたくさんあります。

たとえば、テロや戦争とはほぼ無縁の南太平洋の島国においては、海面上昇による被害こそが目に見えて生活を脅かす喫緊の危機であり、それがある状態を「安全」とは呼べないだろう、という考え方です。気候変動が巨大なハリケーンを巻き起こし、今までそんなの来なかったようなところに人命を含めた甚大な被害を持たした時、それはただ単に「戦争には関係がないから」という理由で話題にするべきではないものなのか、という問いでもあります。

今回、CANのWaelが言及した事例であれば、2011年にソマリアでの大量の難民が隣国へ逃げ込んだのは、(その時は)紛争のせいではなく、干ばつの後の食糧不足が原因だったと言われています。その原因に、気候変動が一役買っているのであれば、それは人々の「安全」を脅かす脅威とは言えないのでしょうか?それは、「安全保障」のための組織が扱うべき課題ではないのでしょうか?

もう1つは、「気候変動は、戦争を起こすんじゃないか」という考え方です。今回、OxfamのTimは、世界的に発生している干ばつや洪水による食糧生産への影響を事例として挙げたようです。もし気候変動を「一因とする」食糧危機が、社会的に不安定な状況を招き、それが引いては紛争の原因ともなりうるのだとすれば、それは伝統的な意味での安全保障にとっても、十分脅威と言えるのではないか、という考え方です。

前者の「安全保障」という概念自体を広げる考え方も、後者の伝統的な意味での安全保障に影響を及ぼすという考え方も、両方とも、まだまだ主流派になったとは言い難い考え方だとは思います。安保理が、気候変動を脅威として見なして重大決定を出すとは、残念ながら現状では、正直、まだまだなかなか想像が難しいです。

ただ、人々にとって何が安全なのか、戦争に繋がってしまうような紛争の根源は何なのかを考えることのきっかけにはなります。

また、逆に言えば、世界の政策決定者たちも、「戦争・紛争を間際で防げればそれで安全」なんてナイーブな考え方を持っている人はもはや稀でしょう。テロであれば、紛争であれ、その背景には、社会的な不安定があることに、もう誰だって気がついています。問題は、そこからもうちょっと先に進めるか。どう進められるか、でしょうね。

京都議定書の記念日と移行期に

今日は、あまり知られていないと思いますが、8年前の今日、京都議定書が発効しました。そして、今年は同時に、京都議定書の第1約束期間から第2約束期間への移行期の年でもあります。

京都議定書が持った意義は、単に先進国に排出量削減目標を課したというだけでなく、今日につながるいろんな仕組みをその中身に内包したことで、世界の気候変動政策を後押ししたことだと思います。

しかし、日本は、第2約束期間で削減数値目標を持たないという決定をして、京都から離れてしまいました。

京都議定書がきっかけでこの業界に足を踏み入れた人間としては、忸怩たる思いがあります。

「京都ではもうやっていけない」という決定が、京都よりもより良いものを構想して、自らも対策をやっていく、という決意であったならまだしも、今日の日本の取組みを見る限りにおいては、そうではなかったことが明らかです。

削減数値目標すら失い、対策の遅れは他国のせいにして憚らず、自国の削減よりも他国の削減の重要性のみを説いて回る傾向があります。「日本の素晴らしい技術が広がればもっと削減ができる」という話は頻繁に出てきますが、そうした技術を他国のニーズに合わせて、きちんと広げるような仕組みの構想は未だ出てきていません。二国間クレジットのアイディアがそれだと言われるかもしれませんが、残年ながら、削減目標がない状態でオフセットの仕組みを作ったところでドライブにはなりませんし、政府がお金を出し続けるならば、それは基本的に産業補助金の域を出るものではありません。

京都議定書のホスト国であった国としての誇りはそこにはなく、「忸怩たる」思いを、二重に感ぜずにはいられません。

難しく、厳しい時期ではありますが、国際社会の中で、日本が温暖化対策に先進的な役割を果たしていくことを諦めてはいけないと思います。それは、国内の対策でも、国際的な交渉でも。

「2℃」目標達成のためには、日本の排出量なぞは、2050年時点では事実上ゼロに近い値にしないと難しいことはよく知られています。新興国に厳しい対策を求めたとしても、日本が今よりはるかにチャレンジングな対策をとらなければならないのは、「気候変動という問題を重視するなら」、何も変わらないはずなのです。ならば、私たちは、着実に、対策を実施していくべきではないでしょうか。

京都の記念日にそんなことを思いました。